新潟少女監禁事件の元受刑者は死亡していた 性犯罪事件で逮捕された「ミスター慶応」との接点 [首都圏の虎★]
新潟少女監禁事件・佐野房子と佐藤宣行の現在!被害者と犯人の詳細・その後まとめ
1: 首都圏の虎 ★ 2021/02/05(金) 11:31:45.53 ID:VBuEReQ/9
20年1月、新潟日報は「柏崎女性監禁事件 元受刑者が病死 2017年ごろ、出所後千葉で」の記事を掲載した。
新潟日報は「柏崎」の地名を事件名に含めているが、全国ニュースでは「新潟少女監禁事件」と呼ばれることが多い。
小学校4年生の少女を誘拐、約9年2か月もの長きに渡って監禁した事件は、文字通り社会を震撼させた。
新潟日報の報道に話を戻すと、このスクープを他の全国紙が後追いすることはなかったようだ。そのため元受刑囚の死亡を初めて知る読者もおられるのではないだろうか。
まずは事件を振り返る。1990年、新潟県三条市で、元受刑囚は当時9歳だった少女を誘拐。柏崎市の自宅に連れ込み、2階の一室で監禁した。
元受刑囚の家庭内暴力に苦しんでいた母親が2000年、保健所などに相談。強制入院させるため職員らが自宅を訪れたところ、19歳になっていた被害者を発見した。
別性で生活
新潟県警は元受刑囚を逮捕。地検が未成年者略取・逮捕監禁致傷罪などで起訴し、03年に最高裁で懲役14年の実刑判決が確定した。
「逮捕監禁致傷の最高刑は懲役10年に過ぎないため、検察側は窃盗罪を併合するという異例の措置を取りました。
それでも、日本の司法制度において元受刑囚を社会から隔離するのは14年が“限界”でした」(事件に詳しい記者)
元受刑囚は千葉刑務所に収監された。だが獄内では問題行動を何度も起こし、“矯正”の成果はあまりなかったようだ。
15年の春、元受刑囚は52歳の時に刑期満了を迎えた。服役中に、彼の頼みの綱だった母親は亡くなっていた。
冒頭で紹介した新潟日報の記事には、《元受刑者は15年ごろに刑務所を出た後、新潟県内には戻らず、千葉県内のアパートで1人で暮らしていた。定職には就いていなかった》とある。(末尾に註1)
(略)
“大家”の過去
この企業の代表取締役を務める男性の息子は、性犯罪事件の被疑者として逮捕された過去を持っていることも分かった。
「この男性は当時、慶應大学経済学部の2年生でした。18年9月、路上で19歳女性の腹部を蹴るなどの暴行をふるい、神奈川県警が現行犯逮捕しました。
更に10月、面識のない泥酔状態の女子大生を近くの雑居ビルに連れ込み、性的暴行を加えたとして、準強制性交などの容疑で再逮捕。更に数件の余罪も判明しました。
ミスター慶應のファイナリストだったため、週刊誌などが大きく報じました」(同・記者)
この“ファイナリスト”の祖父が“貧困ビジネス”に目をつけ、企業を急成長、急拡大させていったのだ。その経緯は、「週刊文春」(19年1月3・10日号)の記事に詳しい。
《「(編集部註:男性の祖父は)生活保護者のための施設を運営して財を成し、千葉県で総資産100億円を超える企業グループを率いる人物。ところが、その実態は貧困ビジネスそのもの。グループでは約2000人の生活保護者が入居していますが、生活保護費から部屋代、食事代、布団代、共益費を徴収し、1人につき月額約9万円が同社の利益となる。本人の手元には月額2万円ほどしか残らないのです。東京や埼玉などに手配師を置き、公園などで生活保護者を確保。各施設に送り込んでいます」》
元受刑囚と孫の“点と線”
貧困ビジネスを展開する会社が所有する物件に、元受刑囚は吸い寄せられるように住み始め、そして死んでいった。
貧困ビジネスで財を成した男の孫も、準強制性交の容疑で逮捕されていた──。まさに因縁話と言える。
新潟日報の記事には、次の一節がある。《新潟県警には千葉県警を通じて連絡があり、新潟県警から被害者側にも伝えられたとみられる》。
現在、発売中の週刊新潮(2月11日号)では特集記事「野に放たれた“脅威” それからの『新潟少女監禁男』」が掲載されている。
元受刑囚の獄中での問題行動、終の住処となったアパートでの生活や周辺の荒涼とした光景、支援が届かなかった問題点などを4ページで詳報している。
(註1)引用した記事は全て、デイリー新潮の表記法に合わせた
デイリー新潮取材班
2021年2月5日 掲載
https://news.yahoo.co.jp/articles/73e1afccb93ebab9e603e38644286e73cba2f511?page=1
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Source: 生活・健康・医療NEWSまとめ
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